夢見るころを過ぎても
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僕がここでしつこいぐらい繰り返し言っていること。
それは“愛”です。

って、うそ。



冗談はさておき、あれですよ、ここは実はサッカーJリーグ、FC東京系ブログですよ〜、ってのと同じぐらい繰り返し言ってるのが、大のニューヨーク好きなんですよ〜、っていうこと。

だから当然ウディ・アレンが大好きなわけで、もうね、そりゃぁもう大好きなんですよ。
会話主体の脚本も好きだし、彼自身の神経質な演技も好きだし、ニューヨーカーの面目躍如たる街の美しい切り取り方も好き。
自分の好きなことを優先して、権威や名声や商売的なところに、さらっと背を向ける感じも好き。
あと、特に好きなのは、彼自身がその時愛している女性を軸に作品をつくるところ。
あれはいいなぁ。
藤代冥砂さんとか長島有里枝さんの写真にも感じる“愛のこぼれるイマジネーション”。
(ウディ・アレンの影響で、僕も美術の予備校時代の素描は好きな人を描くのが一番好きでした)

とにかく、ウディ・アレンのシニカルなんだけど、優しく希望や愛を信じている視線が大好きです。
そして、何よりも映画を愛しているところが。

そして彼は優れた映画作家であると同時に(いやそれ以前に)、素晴しい劇作家でもあります。
代表作『ボギー!俺も男だ』のように映画化されてヒットを飛ばしている作品もありますしね。



というわけで、劇作家ウディ・アレンがテネシー・ウィリアムズに影響を受けて書き上げた戯曲『漂う電球 THE FLOATING LIGHT BULB』を観てきました。



1945年、ブルックリン。
どもり症で引きこもりの少年ポールは、絶望と怠惰が充満するアパートの一室で手品の練習をして暮らしている。
母親と父親は喧嘩ばかり。
やくざな商売で日銭を稼ぐ父親には若い愛人がいる。
そんな暮らしに嫌気のさしている弟は夜遊びに出かけることばかり考えている。

母親は言う、「ポール、あなたは天才なのよ」と。
みじめな暮らしから抜け出したい彼女は、かつてIQテストで高得点だったポールに希望と夢をかけている。

八方塞がりの現実を生きる一家、変わりようのない毎日の生活、出口はどこかにあるのだろうか。。。



というお話。

“テネシー・ウィリアムズに影響を受けて”というよりは、物語がそっくりなので、『ガラスの動物園』へのオマージュといったところです。
だからとても切実で、胸に迫る哀しさです。
そう、アレンがたまに書くシリアスもの。しかもこの上なく救いがないお話。
映画評論家(というかアレン研究家)の都筑はじめさんの言葉を借りると、“ディプレッシングな(触れた人を落ち込ませる)内容”のお芝居。

そんなものをわざわざ観に行くほど元気なオトナは今の日本にいないのか、劇場は僕と同世代のお客さんが大半で(いつもは、大きな劇場にお芝居観に行くと、年輩の方の多さにびっくりするんですけどね)、あとは役者さんがけっこう観に来ていました。(誰だかわからない人もいましたが、松本さんとこのお姉ちゃんと、カムカムさんとこのヤッシーが来てましたね。お姉ちゃんがさらっとパンフ買ってたのと、ヤッシーがやたらとジェントルでひそひそ声なのにぶ厚い声だったことに好印象です)

アレンファンだけじゃなく、役者さんにとっても『漂う電球 THE FLOATING LIGHT BULB』はいろんな意味で興味をそそられる公演だったのでしょう。

だって、こんなにも暗くて、救いも笑いも(少ししか)ない戯曲をケラリーノ・サンドロヴィッチが演出!したんですから。

だったら、それなりに笑えるシリアス・コメディなんじゃないの?と思ったけれど、そんなことなくて、夢のシークエンスでナンセンスな味わいや喜劇的な空気が少しあったぐらいでしたね。
全体的にはシリアスで救いがなかった。
そして、とてもよかった。

僕の大好きなアメリカの短編小説たちと同じ、“悲しみや絶望を抱えながらもそっと寄り添い、小さな喜びや切なさをかみしめる”ような愛おしい匂いが充満していて、とても心地良い余韻を残すお芝居でした。(救いがないなんて言っときながら、心地良いって、、、無茶苦茶だなぁ。。。)

まあ、“短編小説はアメリカの国技”なんて言われ方をすることがあるぐらい、多種多様な作品世界があるので、一概に言えるわけではないけれど、アイルランドの短編小説家フランク・オコーナーの言った言葉、

“登場する人物は、たいてい、自分のいる社会を意識していない。
自分はそんなものからはずれている。
短編ではいつも、社会からはぐれた者が社会の端っこをとぼとぼ歩いている。”

これこそが『漂う電球 THE FLOATING LIGHT BULB』の世界をぴたりと言い表してるように思います。



みんなの夢が当たり前のように破れ、幻想がシビアな現実という本当の姿を見せ、それでも人生は続いていくんだとわかった時、ポールの手を離れた電球は哀しい光を放ちながら静かに、とても静かに宙を漂う。

そして僕たちは、不思議なことに、優しさとかすかな希望を感じるのだ。



『When I grow too old to dream』 / Nat King Cole
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by clyde_8 | 2006-10-12 16:57 | 映画/お芝居
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