昨日と今日がくっついてゆく世界で
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僕にはともさんという友人がいます。

これまでにも何回か、彼についての記事や、
彼の名前が記事に出てきたことがありますが、彼は今ドイツで生きています。

そんなわけだから、いつでも会えるってわけではないし、これまでだって、そんなに長い時間を一緒に過ごしたってわけでもない。
連絡は密に取り合ってるかというと、そんなことも全くなかったりする。

だけど、なぜか強い繋がりを感じる友人のうちのひとりです。

そして、不思議なんだけれど、ひとつしか歳の違わない彼のことを兄のように慕っている自分がいます。

あまり頻繁に話をするわけではないというところも、“友人”というより“兄弟”に近いと感じさせる要因なのかもしれない。
昔から、兄や姉が欲しかったという僕の願望のあらわれかもしれない。
本当のところはよくわからない。



僕は僕のことをよく知る人間からは“真直ぐ”だとか“真っ当”だとかって評されることがあります(“善くも悪くも”と前置きをされることが多い)。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない(たぶんそうだと思う)。

でも、僕にとって本当に“真直ぐ”で“真っ当”な人というのはともさんのことです。

そんな彼に、からまわってきた不思議バトンを渡しました。

きいてみたいことがたくさんあったから。

僕からの質問は、

1.外国で暮らし、働いてみてわかったことは?
2.あなたにとってスポーツとは?
3.自分のルーツってなに?

というもの。

とても素晴しい回答でした。
嬉しかった。

本人にはまだ断ってないけれど(ま、バトンまわす時にそれとなく言ってるけどね)、回答をそのまんま載せることにします。
長いけれど、ぜひ読んでみて下さい。
僕や彼のことを知らなくても、この回答の中には、生きていくために必要なものについての示唆に富んでいることがたくさんあると思うから。

読んで、いろいろ考えてみて下さい。



ちなみに、僕が感じたこと。

仕事が自分を「呼ぶ」っていうのと、チャンスは誰かが「呼んで」「くれる」ものっていうのは、僕が感じることのできない感覚で、ちょっとそんなふうに考えてみたら、なんか気持ちが軽くなった。
チャンスについては踏み出せるかどうかが大切って思ってるところに彼らしさがあると感じました。

スポーツが彼の中で大きなものを占めるということはわかってたけど、こうやって詳しく訊いてみると、面白い。
「時間」の流れについての話は本当に面白いです。
一番強いのが何も考えてなくて、既に自分が勝っている「未来」のイメージに向けて体が勝手に動くことで、そんな「先の先」は反復の賜物だっていうのは、すごくわかる。本当にわかる。これってスポーツだけじゃなくて、まさに“生きていく”ときに感じる。

自分に都合の良い「過去」を選んで「ルーツ」を作るっていうのもわかる(ごめん、“わかる”というより、言われて初めてあ、そうかもって思った。)。
こういう考え方ができる、それこそ僕が彼のことを“真っ当”な人と思う、その理由なんですよ。
“「過去」というものは不変のものではなくてその時々の「現在」から遡及されて意味を変える”ということ。なるほど。




ね?どんな回答か知りたいでしょう?
では、どうぞ。






不思議なバトン
「clyde_8」から不思議なバトンがまわってきた。

1.バトンを回してくれた人が考えた3つの質問に答える
2.バトンを回してくれた人の印象
3.次に回す人への質問を新しく考えて3人にバトンを回す

3つの質問はこれです。

1.外国で暮らし、働いてみてわかったことは?
2.あなたにとってスポーツとは?
3.自分のルーツってなに?

難しい質問をまわしてくれたね。
君の期待した答えが出せなくて
失望させないと良いのだけれど。
今回は君に対する返事という形で書かせてもらうね。

まず一つ目から
外国暮らしといえども
僕の職場はほぼ皆、日本人なんだよね。
周囲がドイツ人ばかりなら
ドイツ語が話せるようになるのかも知れないけど
1年数ヶ月暮らしても全くドイツ語に慣れもしていない。
おぼえたのは数字と挨拶だけだもの。

気づいたのは
出来る仕事をしたり
僕が仕事を選ぶのではなくて
仕事が僕を「呼ぶ」ときがあって
その仕事を出来るようになればいい
ということ。
先のことにイマジネーションを働かせることは大切だけど
いつ死ぬのかもわからないのに
先の人生の心配をしたり
「あれをしたい」「これをしたい」と言っても仕方ないよね。
自分の32歳をドイツで迎えるとは
君と遊んでいた頃(25歳くらいだったかな)には予想してなかったし
渡独の半年前までは考えてもいなかった。
チャンスは自分でつかむものではなくて
誰かが「呼んで」「くれる」もので
そのとき踏み出せるかが大切なのかなと
最近は思っています。


二つ目、
僕にとってスポーツとは
ボクシングになってしまうんだよね。
選手として指導者として僕という人間を引き出してくれた
このスポーツから離れて少し経つんだけど
僕はボクシングに本当に沢山のことをプレゼントしてもらった。
大切なことのほとんどはボクシングを通して教わった
といっても過言ではない。
感謝してもしきれない。

そのなかの一つに「時間」の流れがあるんだ。
単純に語ると
このスポーツは
何手先を読むかで成り立つ
チェスに近いスポーツなんだ。
「後の先」なんていうでしょ。
罠を仕掛けて待ったりするんだ。

ただ先を読もうとだけすると
動きが滞る
武道で言う「居着き」がおこってしまうんだ。
フェイントにかかってしまったりするのもそう。

高いレベルの選手の試合では
フェイントのかけ合いで
見合うシーンがあったりする。

基本的に相手に追わせる立場に立てば
勝ちが確定していくもの。
「追いかけさせ踏み込んできたとこにカウンター」とかね。

追う人間は追われる人間より
時間的に遅れてるんだよね。
追わせている人間は時間を先取りしてることになる。
「未来」により早く踏み込んだ時に勝つんだよね。

逆を言うと
「過去(トラウマ)」に囚われた人間は
負ける位置に立ち続けることになる。
不安にとらわれるのも同じ。

一番強いのは何も考えてなくて
既に自分が勝っている「未来」のイメージに向けて体が勝手に動くヤツ。
これが「先の先」なのかな。
待ちの時間も平気で踏み込んでくる。
これは反復の賜物なんだよね。

最近「時間」について考えることが多いんだけど
そのベースにはいつもボクシングがあるんだ。


三つ目
ルーツね。
僕には二人の親がいて
その親にも二人の親がいて四人の祖父母が僕にはいる。
n代遡ると2のn乗のルーツとなる人間が僕にはいるんだよね。

今は「F」を名乗っているけど
僕は父と折り合いが悪い時期が長く
母方「K」に心情的には寄り添っていた時期も長かった。
お祖父ちゃん子だったしね。

家庭の事情で名字が「K」になりそうだった時期も長かったし
誰かと結婚して名字を変えるのが
20代前半の僕の小さな夢だった。

「過去」というものは
不変のものではなくて
その時々の「現在」から遡及されて
意味を変えるものなんだよね。

だから僕はその時々によって
自分に都合の良い「過去」を選んで「ルーツ」を作るはず。
なんてことを最近考えています。

君と過ごしたあの時節も僕のルーツであることは確かだし
それを踏まえた未来を
現在(いま)の僕は構築しようとして生きています。

不確定な未来に向けて
曖昧ながら方向を持った希望をつかみ
そっちに向けて踏み出す
その「瞬間」を支えるものとして
ルーツ(過去)は現出する。
そしてその瞬間を支えられるような過去になる現在を生きるよう
僕らはしっかり生きなくちゃね。


ともさん、ありがとう。



おまけ。
不思議バトンの二つめの質問、“2.バトンを回してくれた人の印象”について。
とりとめなく
まとまりのない文を書き散らしてきたけど

「clyde_8」は
少しの質問でこれだけのことを
僕に考えさせる人なんだよね。
いい加減には扱えない友人、
衒いのない素直で真面目な僕を引き出せる人
というのが僕のclyde_8評です。


やったぁ!
褒められて…るよね?
(でも僕、パッと見変態。。。なんつってまた蒸し返す)

ともさん、本当にありがとう。



『昨日と今日』 / 小沢健二
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by clyde_8 | 2006-07-14 11:03 | プロフィール/バトン
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