自分に恋して
少し前に『ラブハンドル』というお芝居を観に行ったんですが(まあ、少し前といっても4ヶ月ぐらい前なので、けっこう経ちますか)、その時にサードステージの公演ってとても素敵で、とても面白くて、とてもまっとうで(この“まっとう”なっていうのは何をするにしても重要なことだと思う)、最近の演目を見る限り、どうやら恋愛ものの割合が多いみたいだからサードステージってロマンチックな会社?なんて印象を持ったんです。

そんなサードステージの新作はKOKAMI@networkの恋愛劇、タイトルもずばり『恋愛戯曲』です。

鴻上さん自身が“恋愛大好きちゃん”ですからね。
僕と同じです。
ちなみに、いま僕は恋愛に対してステイブルを求めているんですが(そもそも“ステイブル”なんて物言いがバカみたいでそんな言い方は無い気がしますけどね。まあいいじゃないですかたまには)、恋愛における安定や持続性ってなかなか難しいし、人によっては退屈に感じるかもしれないけれど、いまの僕にとってはとても大切で素敵なものに感じるんですよねって、、、
それはまた、別の話。

「迷ったり傷ついたりしない人間がどこにいるのよ? 
 それともあなたは迷ったり傷ついたりしないって言うの?」

「もちろん俺だって迷うし傷つく。
 ただそれは訓練によって軽減することが可能なんだよ。
 鼠だって電気ショックを与えれば
 傷つくことの少ない道を選ぶようになる」

「でも鼠は恋をしないわ」


―――『ノルウェイの森』 / 村上春樹




さて、『恋愛戯曲』なんですが、物語はこんな感じ。
スランプの女性脚本家・谷山がプロデューサー・向井にある要求をする。
「私と恋に落ちてちょうだい」と。
谷山は創作の源には恋する気持ちが必要だから、私の心をときめかせてと理不尽な要求を向井に突きつけ、少しずつ脚本を書き上げていく。
その脚本の中では、淋しい人妻がテレビに投稿したシナリオを局の若手プロデューサーと一緒に書き上げていく、そんな二人が少しずつお互いに惹かれあう様子が描かれる。
主婦が書いたシナリオの中では、売れっ子女性脚本家が駆け出しのプロデューサーに、「私と恋に落ちろ」と命令するところからはじまるものだった。

こういうの入れ子構造って言うんでしょうか、劇中劇中劇とでも言ったほうがわかりやすいでしょうか、そういう感じのお芝居なんですが、いろんな人の意見を聞きたいと思いました。

僕は実は『恋愛戯曲』という作品に対して恋愛劇という印象がとても薄いまま劇場を後にして、キュンとなんてほとんどしてないんです。それよりも演劇というものに対しての鴻上さんの真摯な姿勢やメッセージを強く感じたんですが、間違ってますかねえ。。。
特に終盤は、“第一舞台はスタッフとキャストが力を合わせた舞台、第二舞台は観客席。そして、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台が第三舞台”という鴻上さんが25年前から言い続けてることを表現していたとしか思えないし。

あ、僕はラストシーンにぐっときましたね。

とにかく、憧れの鴻上演劇が観れて楽しかったです。
著書も3冊ほど買っちゃいました。
憧れというわりには著書を一冊も読んだことなかったんですけどね。
スミマセン。



お芝居とは直接関係ないんだけどおかしかったのが、開演前のロビーにて、なぜかチラシ配りのお姉さんの傍らに佇む鴻上尚史その人。
あまりにぬぼーっとしてて、でもどことなくそわそわしてて、具合でも悪いのかと心配になってしまいました。
その“誰かを待ってるんだけど、期待感は押し殺しておいたほうがいろいろと便利”的なぼんやり具合はまさに“恋愛大好きちゃん”な雰囲気がしっかりと出てましたよ。
“ぶさいく村”出身(マルC鴻上尚史)というのは賛成です。(←失礼だよ)



ところで、今回の『恋愛戯曲』って改訂版らしくて、5年前の初演の時はとても評判良かったみたいですね。
主演が筒井道隆と永作博美って、それはいい!そんなのすごく素敵なお芝居になるに決まってるじゃないか!初演を観たかったなぁ。というようなことを書いておくと、キャスト批判に感じるかもしれませんが、違うんですよ。
ただ、どうして今回も同じキャストにしなかったんだろうと、残念でならないだけです(キャスト批判ですね。ゴメン)。んじゃ。



『Falling in Love With Myself Again』 / Sparks
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by clyde_8 | 2006-06-06 12:21 | 映画/お芝居
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