『ターネーション』について再び。音楽のセンス良い。
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8月に新松戸でビッグOさん(a.k.a.ブッチャーさん)と『ターネーション』について少し話した。同じ日にMar.ちゃんともこの作品について話した。

2人とは軽く話した程度だけど、2人とも『ターネーション』にはそれぞれの視点で感心していた。

ビッグOさんの「私小説を映画でやったってことでしょあれは、これからの映画制作が変わるかもね」という意見に大きく頷く。
アートレスラービッグOさんは「飛び下りたら膝曲げろ」とも言っていた。確かに。

『ターネーション』のジョナサン・カウエットはデレク・ジャーマンと比較されることがあるらしい(ここははっきり言いたい!それはまだ早い!!!)。

デレク・ジャーマンの作品に『エンジェリック・カンヴァセーション』というのがある。デレク・ジャーマンが「最も私の簡素な作品、そして、私の本質に近い作品である」と語ったイマジネイティヴな映画。簡素かどうかは別にして、様々な美しい映像はとてもパーソナルなことについて描かれている(ような気がする)。
さて、ジョナサン・カウエットの『ターネーション』はどうだろうか?
わかりやすいぐらいパーソナル。

最初に観た時はジョナサン・カウエットの人生に衝撃を受けたのと同時に映画の“新しい波”じゃないかなこれは、なんて思った。
僕が感じた“新しい波”とは『ターネーション』がiMovieで編集された個人的な映像がベースになっている、という点。
と言っても、だからこれからはどんどんこのスタイルで映画が作られるぞ、とは思わなかった。その逆で、Macという日常的なPCで作れるからこそ何を語るのか?が重要になってくるな、だからもしかしたらつまらない映画が減るかもな、なんて思った(希望も込めて)。

『ターネーション』はうんざりするぐらいいろんなエフェクトを使い、大量の映像をつなぎ合わせて作られている。ただ、その大半が目新しいものではなく、画像や映像編集ソフトを体験したことがある人にとってはあちゃ〜と恥ずかしくなるような箇所があるかもしれない。それでも退屈は(それほど)しない。

どういう意図があってごちゃごちゃと映像をいじくっているのかはわからないけれど、そういうシークエンスははっきり言って退屈だ。それよりも、カメラにしっかりとおさめられたジョナサン・カウエットが少年時代“僕じゃない誰か”を演じる姿に(きっと彼にとっては演技ではなく現実だ)心を揺さぶられる。
個人的には、そんな衝撃的なシーンで震えた心を落ち着けるためにエフェクトで遊んだシーンはあるんだ、と勝手に思い込むことにして映画を観た。
そうして観てると技巧に頼った映画より、“語るべき物語”がある映画のほうが心を打つんだということに気付かされる(『マトリックス』とその続編の違いだ!)。

そう、『ターネーション』には“語るべき物語”がある。
それが観る者を引き込む。『ターネーション』は私小説的で誰に向けてでもなくジョナサン・カウエットが自分自身に向けて語る映画なのに、僕らもなぜか覗き込みたくなるのは「私の人生です、これが」という履歴書的な(それも強烈な人生の)側面をもってるからだ(実際、もとはオーディション応募用に撮ったものだ!)。
もしかしたら不愉快な言い方かもしれないけれど、強く興味をそそられる人生が綴られた履歴書は面白いに決まってる。

ジョナサン・カウエットの30年ほどの人生には辛く厳しい体験が多い。
彼の母親と彼自身が経験した事、そして今も続いている苦しみはとても重い。
そんなわけで、『ターネーション』は明るい映画ではないけれど、それでも前向きな気持ちになれる。愛に溢れてるから。

逃げ出したくなるたくさんの辛い事、それでもそれを乗り越える事ができるぐらいに素敵な出来事もこの人の人生にはあったんだろうなあ、とそんなふうに思った。

カメラが捉えたジョナサン・カウエットと母レニー、なんとなく安らぎの表情。
ファインダーを覗くのは彼の恋人。
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by clyde_8 | 2005-09-07 20:36 | 映画/お芝居
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