イージュー★ライダー
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最近『イージュー★ライダー』をよく聴く。

この曲がリリースされた時、まだ二十歳やそこらだった自分は良い曲だなとは思ったけれど、それは耳なじみの良いメロディーについて感じただけで、正直に言うと歌詞に関してはあまりピンとこなかった。それに、ソロ民生の力の抜けているような、それでいて強烈に前進してるような、独特の朗らかな歌声も、そこはかとなくパンクの香りを纏ったユニコーンの民生馴れした自分にはあまり響かなかった。

それから15年ほど経って。

なんか妙に心と頭と身体に響く『イージュー★ライダー』。
音楽にしろ、文学にしろ、映画にしろ、絵画にしろ、料理だってスポーツだって、ある特定の年齢というか世代で触れてこそ、その本当の意味や魅力を感じられるということは確実にあって、『恋人たちの予感』に感じ入る中学生なんていたら気持ち悪いし、『はてしない物語』を寝食忘れて読みふける三十路がいたら合コンにでも連れ出してやりたくなる。要はどれだけたくさんのものに触れるかではなく、いつ触れるかが重要だったりすることもある、という話。

さて、いまの自分に響きまくる『イージュー★ライダー』。まあ、そりゃあそうだろう。だって当時の奥田民生と同じように自分もイージューになったんだから。しかも夏がくれば35だもんね。
青年が歌う青年の青春の歌、その素晴らしさを感じられるようになった青年。こういうことが良いことなのかどうかはよくわからないけれど、とても自然なことのような気はする。

なんてそんなこと言っていても、ふらっと須磨まで行って、駅のコンビニかなんかで飲み物とかお菓子を買い込んで、砂浜を裸足で歩いて、だらだら寝そべって、潮風で充電して、そんで街に帰って鉛筆や絵筆握って放電したり漏電したり、そんな10代にしたのと同じことを20代でもやっていたし、30代になったいまも海へ。須磨の海岸が由比ケ浜や七里ケ浜になったり、鉛筆や絵筆じゃなくてマウスを握ることが多くなったけれど、それでもやっぱり変わってないような気がする自分。

結局、昔のまんまだから30代をうまく乗りこなしている“イージュー★ライダー”になっているのかどうかはわからないけれど、楽しい事の方が多いから、目的地なんてなくても、退屈でもそれもまたグー。なんて。



四月の鎌倉は桜を見に来る人がたくさんいて、江の電や洒落たカフェはいろんな人で満杯だったけれど、せんべい山ほど買って砂浜を歩きたい僕にはあんまり関係なくて、知りません全然、だから気にしないぜ、とにかく行こうって感じ。それが、僕らの自由を僕らの青春を。大げさに言うのならばきっとそういう事なんだろう。誇らしげに言うならばきっとそういう感じだろう。なんて。



あ、でも、大好きな蕎麦屋はけっこう混んでいて、特に大きな文句も言わず並んで食った自分は、あの頃よりはちょっと大人だ。



『イージュー★ライダー』 / 奥田民生
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by clyde_8 | 2010-05-19 17:25 | 日々
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